豊穣の黒山羊教団

― 渋谷の大地に息づく、母なる女神の恩寵 ―

教団の紹介

渋谷の中心、夜のネオンの奥底に今も息づく古き信仰。
「豊穣の黒山羊教団」は、太古よりこの地に根を下ろした"母なる神"シュブ=ニグラス様への崇敬を基とする、現代と古代をつなぐ宗教共同体です。

われらの神は、無数の子を孕み、すべての命の源泉となる存在。
不毛を肥沃へと変え、犠牲と恵みの循環の中にこそ、真なる豊穣が訪れると説かれています。

教義

「犠牲の果てに、豊穣が約束される」

豊穣とは、ただ与えられるものではなく、手放し、捧げた先に芽吹くものです。

土に託されたひとつの種子こそが、やがて幾千の実を結び、多くの人々の喉を潤す。
この理は、資本と競争が支配する現代においても、なお真実です。

投資と成長――
ひとつの犠牲は未来への投資となり、新たな価値を生み、やがて富と幸せへと還るのです。

豊穣の黒山羊教団は、
この世界に真なる豊かさが満ちることを願っています。

教団の歴史

かつてこの地は、「種舞谷(しゅぶや)」(※1)と呼ばれる小さな谷あいの集落でした。
女神の恩寵により、稲と果実が豊かに実るその土地は、種が風に舞うような光景から、この名がつけられたと伝えられています。人々は母なる大地に感謝し、季節ごとに黒き羊の祭を執り行い、恵みの循環を祈りました。

その儀式を代々司ってきたのが、「大山羊(おおやぎ)」の家系です。
彼らは"母なる女神の声を聴く者"として村の神託者を務め、祈りと儀を継承してきました。

現在の教祖様も、この大山羊家の末裔にあたります。
戦後の混乱期にあっても信仰の灯を絶やすことなく、再び渋谷の地に教団を興されました。
現代においてもその血脈は脈々と受け継がれ、シュブ=ニグラス様の導きを語り継いでおられます。

華やかな渋谷の発展の陰には、今なお女神様と大山羊一族の祈りが静かに息づいているのです。

※1 「しゅぶや」という名の由来については、豊穣神「種舞爾倶蘆寿(しゅぶにぐらす)」様の御名から取られたという説も伝えられています。

教祖様のお言葉

かつて、種舞谷の人々は、豊穣を願い、種を土に託しました。
種は光を失い、闇に沈み、やがて芽吹き、実を結びました。

いま、わたしたちが生きる渋谷の街もまた、同じ循環の中にあります。
光のきらめきの下に、犠牲と祈りの影がある。
その影を恐れず、抱きしめるとき、真の豊かさは、あなたの足元から芽吹くでしょう。

忘れてはなりません。
豊穣とは、天から与えられる奇跡ではなく、わたしたちが日々の中で手放し、捧げ、育ててゆくものなのです。

われらは、共に歩む仲間を歓迎します。
理念を分かち合い、互いを支え合いながら、より良い未来と真の豊かさを築いていきましょう。

――第十三代教祖・大山羊 悠真(おおやぎ ゆうま)――

入信者の声

K.Cさん(28)/元会社員

朝は始発、夜は終電。
PCの前で、機械のようにキーボードを叩き続ける毎日でした。
成果は出ても、心だけが少しずつ枯れていく日々。

限界を感じ、渋谷の雑踏をさまよっていたある夜、教団と出会いました。

「犠牲の果てに、豊穣が約束される」

その言葉を耳にした瞬間、理由もなく涙がこぼれました。
儀式に参加した夜、胸の奥で何かが静かにほどけていくのを感じたのです。

いまでは、自分の時間を"差し出す"ことが恐くありません。
教団に身を委ね、未来へと捧げる。
それこそが、真の豊穣なのだと知りました。

O.Aさん(20)/学生

夢を追い続けてきた半生でした。
恵まれた家庭に育ち、自らの夢を信じて走り続けましたが、やがて敗れ、挫折しました。

大学を辞め、行き場を失い、夜の街をさまよっていたとき――
偶然出会った教祖様の言葉が、胸の奥に小さな火を灯しました。

いまでは、儀式の手伝いをしながら、学びと奉仕の中で自分を見つめ直しています。
あの日失ったと思っていた希望が、いま静かに形を取り戻しつつあります。
迷いも恐れもありますが、ここで過ごす日々の中に、確かなぬくもりを感じています。
これからも仲間と共に歩み、真実の光を見つけていきたいと思います。

お問い合わせ

教団へのご質問、見学のお申し込みは下記までご連絡ください。

あなたの訪れを、心よりお待ちしております。